映画『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』を観た

今年に入ってから仕事が忙しく、繁忙期という概念がなくなっている。仕事、減らないのに延々と増えていく。風呂敷は広げられるが人は増えない。なんだかなあ。トップが変わると組織はがらりと変わるのだなあというのを体験している真っ只中。

 

ふと思い立って(あるいは嫌気が差して)、最近できていなかった特段緊急性のない有休をとるということを久しぶりにしてみた。緊急性はないけど、映画って封切りから上映終了まであっという間なので観られるうちに観なくては!と思って。

 

というわけで昨年末からひっそりと続いてる実写版『岸辺露伴は動かない』の映画『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』を観てきた。結論、ドラマのクオリティが高すぎて映画への期待も高かったなあ、という感じ。観ないと感想は得られないので観てよかったです。

 

一番違和感があったのはキャスティングで、若かりし露伴高橋一生が演じられたと思うし、むしろそこは役者の腕の見せどころになりそうなのに別キャストになっていて、それゆえ回想シーンの必要性がわからなかった。七瀬が洋服を着てる意味もわからない。和服で黒にすると目立ちすぎるから?

七瀬も役どころとして必要なのはわかるけど、とにかく劇中で説明されすぎているがゆえに説明されてないところが気になってモヤモヤする。七瀬の印象がぼやけたまま終わった。

そもそも仁左衛門の回想シーン、露伴の先祖は七瀬であって仁左衛門ではないのだから、仁左衛門役を高橋一生が演じる必然性もわからない。あの二人に子どもはいなさそうだったので、仁左衛門露伴の血のつながりはないのでは。

 

脚本、実写ドラマと同じ方が担当しておられるけど(スタッフはほとんどドラマと同じ)、正直映画の尺に合わせて脚本をまとめていて、かつ出演者の露出も一定担保しなきゃいけなくて……ってことでああなったのかなと思った。正直ドラマでは無駄・冗長と感じたことはたぶんなかったので、残念。

 

コロナ禍での撮影のせいなのか、はたまた別の理由かわかりかねるけど、思っていたよりパリのシーンが短かった。せっかくパリまで行って、凱旋門とルーヴルだけでいいんですか……せめて露伴ちゃんに道端でパンオショコラを食べさせてください……(これは100%私怨です)。

あと観光バスでフランス人からシャンゼリゼ通りについて質問される露伴先生、おかしいでしょ。地方から上京してきてその辺にいる外国人に東京タワーの位置聞かないでしょ。泉くんも露伴がフランス語喋れることに感嘆していたけど、絵画の裏のフランス語の文は読めてるし、軽く話せてるし。一貫性がなく見えた。

 

帰宅して「くしゃがら」を見直したけど、やっぱり森山未來高橋一生の演技バトルがおもしろくて。どこまでアドリブか知らないけど、躍動感がすごい。岸辺露伴シリーズというか荒木飛呂彦ワールドのキャラクターを演じるには、これくらいぶっ飛んでないと浮くんだよなあと改めて思うなどした。

最終的に、あの世界観を一貫して作り上げている高橋一生・飯豊まりえコンビが異常(褒め言葉)という結論に至った。何度も言いますが映画化自体はたいへん嬉しく喜ばしいことなので、また是非制作してほしい。

やっぱりN○Kで制作するのと製作委員会形式で制作するのとでは懐事情も違うんでしょうね、全くそのへんの知識はないけど。

 

これは蛇足だけど、観終わった後「2時間スクリーン観てたのに意外と疲れてないな」と思った。原因は、普段宝塚や歌舞伎オペラグラスの向ける先・意識を向ける先を毎秒コントロールすることに慣れているからだと思う。見せたい絵を切り取られてる映画はコントロールほぼ不要で、これはこれでいいなと再認識。今年は気になっている映画が他にもあるので、観に行けるようにしたいなあ。