「で、新婚どう?」のこたえ

結婚式を終えた直後の先週一週間、周りに「毒気が抜けてる」「空気と髪ツヤと肌艶が綺麗…」と言われ続けたけれど、さすがにそろそろ汚染されてきたような気がする。

 

「結婚して何か変わった?」とよく聞かれるのだけれど、数ヶ月前から一緒に住んでることもあって、別になにも変わらない。朝起きて隣にいて、同じ家に帰って、同じベッドで眠る。こんな日をあと何万日か繰り返すのだと思う。それが日常。

変わったことは一部における名字と(会社では旧姓で呼ばれているし、カードや銀行の手続きもまだ出来てないのでいちいちどちらで書くべきか混乱する)、気持ちだけ。

 

もう誰かと恋愛で面倒な思いをすることは(きっと)ないのだという安堵が、思っていたより大きかった。

これから出会うほとんどの人たちは、左手薬指を見て私を対象外にするだろう。これまで何かあった人たちも、きっと倫理を越えてまでもうどうこうなりたいとは思わない、これまでいくらもあったタイミングを逃し続けたのだから。

だから私はもう、恋愛で煩わされることはないのだ。好きな人に振り向いてもらいたい、連絡していいかなあ、会いたいのに会えない、両思いのくせに報われない、そんないろいろに気持ちを占拠されることはもうない。その事実に、妙にすっきりしている。

 

関係は常に獲得し続けなければ腐るものだと思っているけれど、たぶんほんとうは、誰かの彼女という役割は私には億劫だったのだ。定期的な連絡や愛情表現、意思表示、そういった義務から解放された。厳密にはもちろん続けなくてはならない努力もあるけれど、ある意味私は、結婚という制度に甘える気満々なのだろう。

 

結婚して戸籍や指輪や名字に縛られて、こんな気持ちになれるとは思っていなかった。まだまだ何が起こるか何を感じるかわからなくて、なんだかすがすがしく、わくわくする春の始まり。

記憶の中で光り続ける日

先週結婚式を挙げて、人妻デビューした。

結婚式当日は聞いていた通り、あっという間だった。
これまでの人生のコミュニティでの、たくさんの思い出や感情を共有してきたひとたちが、笑顔で祝福してくれて。結婚したことそのものというよりも、そういうひとたちに囲まれていることが幸せで、これまでの辛かったこととか飲み込んだ気持ちとかが全部昇華されていくような感覚だった。「生きてきてよかった」、そんな日。


結婚式をしよう、という話になったときに、一番は親に感謝を伝えたいよね、と話した。これまで育ててくれてありがとう、これからもよろしくね、を伝える会にしたいと。

でも、実際に結婚式を挙げてみて、最終的に自分のためになったと思う。もちろん親に伝えられる限りの感謝は伝えたと思うけれど、それよりも、自分の覚悟を決めるタイミングになった。結婚式挙げる前に決めておけよって言われそうだけど、あんなきらきらな笑顔の中で大好きな人たちにお祝いしてもらったら、もう本当によほどのことがないかぎり離婚なんかできないし、しない。幸せになって、幸せでいることが権利じゃなくて、ある種義務になった日だったとも思う。


式まで(特に親族紹介)はずっとめそめそしていて、披露宴も号泣しそうだな~お化粧が~~と思っていたけれど、披露宴と二次会については終始楽しく(一部泣いたり恥ずかしかったりしたけれど)過ごせた。なんならはしゃぎすぎた。
私のために泣いたり笑ったりしてくれた、可愛くて品がよくて聡い自慢の高校時代の友達たち。急な話だったのにお祝いに駆けつけてくれて、式場の人に「こんなに場を盛り上げてくれるゲストは今まで見たことがない」って言われるほど盛り上げてくれた、大学時代の仲間。ほとんどの人はこれを読まないだろうけど、感謝してます。今年の目標に「会いに行って直接お礼を言う」が加わりました。

みんなが大量に撮ってくれた写真を眺めてると、私や旦那さんはもちろんだけど、両親や親族、参列者の方がみんなにこにこしていて、それを見るだけでまた幸せな気持ちになる。
両親は多分最後まで複雑な気持ちだったのだと思う。一人娘を嫁に出す覚悟は相当のものだっただろう。しかも何年も付き合ってた彼氏とかならともかく、突然付き合い始めて挨拶に来た人。「結婚を前提にお付き合いを始めました」って挨拶のあとに、お父さんと飲みに行ったら、「この2年以内とかで結婚するつもりはあるの?」って聞かれたなあ。多分お父さんの予定よりずっと早まってしまった。
それでも私が選んだ人を大切にしてくれて、私の選択を尊重してくれて。彼らはぶれなかった、どこまでも私の自慢の両親だ。最後の父のスピーチと母からの手紙は、きっと死ぬまで携えるわたしの宝物になった。

 

f:id:kitsu7:20170309131029j:image

 

大学時代の大切な友達が結婚式を挙げたとき、結婚式は「お守り」だって言ってた。その意味が、今ならよくわかると思う。これからもきっと辛いことや悲しいことはあるけど、私はこの日に立ち返ることができて、そうあり続けられる限り幸せを見失うことはないんじゃないかな。そしてお守りは結婚式という日そのものだけじゃなくて、そこでもらった大好きな人たちの笑顔や、言葉だってそうだ。いつまでも「強くて繊細で聡い」「キラーチューン*1の似合う」ひとでいられるように。

*1:この曲を私のテーマソングって言ってくれる子がいて、特別な曲になった。披露宴のBGMはほとんど私の独断で決めて、私のゲストからは私らしくてよかった、和装のときかっこよかった、ってポジティブなメッセージを貰って嬉しかった。大好きな曲に私の大切な時間を伴走してもらえた。

いつかのための冷凍保存

時が流れるのが早すぎて、とくに身体が追いつけていない気がする。街ですれ違う人の服装が変化している。もうふわふわの毛に包まれる人はあまりみない。カレンダーは3月になって、すぐに終わるひな祭りをもうすぐ迎える。もう2017年の3月だよ。

 

2017年の3月を、2007年の私はどう予想していたんだろう。あの頃は高校生で、私は理系に進学してどこかの研究員になっていると思っていた。23歳で結婚するとなんとなく信じていた。23歳になって、社会人1年目(理系だったらストレートでも院生)で結婚するなんてなんで思ってたんだろう?と昔の自分の思考回路を疑った。

 

私は今週末結婚式を挙げて、来週頭に入籍する。独身の水曜日は最後だ、なんてことを考えながら、カウントダウンを始めた。結婚式を終えた後の自分、入籍した後の自分がどう思っているか、まるで想像がつかない。あんがい何も変わってなくて、実感がないなんてこぼしているかもしれない。もしくはまるで別人のように生まれ変わってしまうのだろうか?

 

「今どんな気持ち?」とこの前、母に聞かれた。たぶん心の中をのぞいたら、心配や不安や寂しさや郷愁、いろんなものが綯い交ぜになっているはずなのだが、いまの私はそれを言葉にする術を持たない。無意識のうちに、自覚しないようにしているのかもしれない。不可逆へ進むことへの不安を。触れられれば風船のように割れそうなそのあやうさを。

 

もう3月だ。別れや新しい一歩にふさわしい、使い古された春。いつかこのときを懐かしむだろう私のために。

いろいろな恋: 村上春樹「恋しくて」

2015年に伊香保竹久夢二記念館に行った時に、村上春樹の「恋しくて」を目にした。竹久夢二の「黒船屋」が表紙に使われていて、トリミングの影響でその絵は原作よりも艶めかしく見えた。欠けている、ということは色気がある、ということの必要条件。

 

恋しくて - TEN SELECTED LOVE STORIES

恋しくて - TEN SELECTED LOVE STORIES

 

これまであまりに引越しが多く、これからも多いだろうと想定されるので、できるだけ本、とくにハードカバーは買わないようにしている。ので、そのときも買わなかったけれど、このたび文庫本をやっと読めました。

 

村上春樹が選んで訳した恋愛小説、というのがこの本の売りなわけだけど、すべて少しずつ色や温度が違って、楽しんで読めた。作品ごとの村上春樹の評価(甘さと苦さをレーティングしてる)もおもしろい。苦ければ苦いほど、甘みが引き立つ作品もあったりして。

 

わたしは恋が好きだと思う。恋によって使われるその感情エネルギーを自覚した瞬間が、とくに好きだ。他人に干渉されている(ことをうれしくおもえる)幸福。

たぶん世の中にはいろいろなひとがいて、恋愛体質だったり恋愛なんて二度としないと思ったり、そのベクトルはさまざまだけど、少なくとも恋愛に対して何かしらの興味や過去をもつひとは、たのしんで読める本だと思う。村上春樹が選んだ作品たちのどれかが琴線に触れて、思い出す恋がきっとある。

 

わたしのとくに好きだったを3つ記録。

「L・デバードとアリエットー愛の物語」(ローレン・グロフ)

50ページ程度なのに壮大な、一本の映画のような作品。一人の水泳選手の栄光と衰退、一人の富豪の娘の、結局は籠の中の人生。その二つの時間の交わり。

わかる、わかるけどみんなもっと他にもやり方あったよね…!ともやもやしながら読み進める。水のつめたい流れと、冬のつめたい空気が漂っていた。

本筋とは関係ないけれど、村上春樹の訳し方が、「~が起こった。」「~だった。」と過去形なのではなくて、多くが現在形なのが面白い。

 

「恋と水素」(ジム・シェパード)

これは好き嫌い別れるんじゃないかなあ。まず「恋する惑星」「普通の恋」とか、恋が入るタイトルや短いフレーズが好き(そういえばこのブログにもこのポストにも恋が入っている)な私はタイトルだけで気になっていました。しかも水素。

飛行船の乗務員同士の恋。彼らの仕事が危なっかしくて、ああいつかこれは…って思いながら読み進めていくのでひやひやする。そして隠された恋であるので、余計に。秘密はいつもどうしてこんなにも。

終点は見えているのに、そこに向かっていくのを止められないのが、まるでジェットコースターのよう。やきもきさせられるのが好きな人は面白く読めるかもしれません。私はグニュッスが好きでした。

 

モントリオールの恋人」(リチャード・フォード)

社内不倫の話。こういうものを読んでいてドキドキする年になりました。

お別れしてきれいな思い出にするための彼女なりの儀式、に振り回されるヘンリー。という解釈をした。世の中には、自分でゴールを決めなくちゃいけない関係性もある。むしろ終わらせ方を選べる関係性なんて少ないから、贅沢なことなのかもしれない。

この関係を長く続けたいけれど、いつかは終わりが来るのね。それは絶望というよりは諦念で、私の知る限りそういう点では女性のほうが現実的だ。だからマデレインの気持ちは理解しやすかった。

選んだ3篇はどれも切ないけれど、これは特に現実的な切なさだったと思う。

 

TOP3からは抜いたけれど、「甘い夢を」(ペーター・シュタム)も好き。これはちょっと江國香織っぽいテイストだなと思いながら読んだ。例えば大学生なのに付き合い始めたいきおいで同棲を始めたカップルだとか、高校生カップルが遠くに旅行に行ったことを知った時だとか、そういういつか終わることを信じない盲目さがある時期の話。

 

恋って好きだな。幸せになってもならなくても、自分の中で光る星になってくれる恋も、道しるべになる恋も、いろんなものを奪われる恋も。どんな形であれ、他人に関わられたい、という欲求のあらわれなのかもしれません。