the happy few

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きらきらきさらぎ

2018年が15%終わろうとしているんだそうだ。もう時間の流れの速さにいちいち驚きもしなくて、指の間からさらさらと零れ落ちていく砂をじっと見ている感覚に近い。あーあ。

今月は息を止めている間に過ぎ去っていった。ひたすら歌舞伎を観て、テニラビに時間を奪われ、やっとモーパッサンの『女の一生』を読み終わった。仕事中はずっと呼吸が浅いので一週間のうちまともに呼吸できるのは週末だけなのに、その週末も別の意味で息が詰まる観劇に費やしているので、おそらく頭に酸素が回っておらず十分な言葉が排出されない。そうこうしているうちに春がしれっと来るのである。

歌舞伎の観劇録はnoteで書いているし(最近書いていないけれど)、何故歌舞伎をこんなに観ているのかについてもいつか書こうと思うので、今は書かない。ただ今月は興行として大変な月で、いかんせん息を止めてじっと見つめてしまうほど好きな歌舞伎役者が二人も出ていたのだ。オペラグラスから変な光線が出ていやしないか心配なくらい見つめたし、同じ舞台の上に好きな役者(しかも60歳くらい年が離れている、彼らの狭間に生を受けている僥倖)が並んでいるのでどこを見ていたらいいのかわからず混乱した。有限の美しさをまざまざと見せ付けられて、楽しいことはすぐに終わりを予期させるので、私はずっと鉛色の気持ちを抱えながら視覚聴覚情報全てをそのまま記録しようと全神経を感覚に向けていた。海外旅行に向かうフライト中の気持ちに近い。

その点、いつまでも中学生でいてくれるからテニスの王子様はやめられない。ほぼ永遠。彼らの誕生日を祝うたびにいったいこれは何回目だろうかと思うけれど、そうこうしているうちに私は彼らのダブルスコアに近い年齢になり、でも多分10年後も大して変わっていないのだろうと容易に想像がつく。いつまでも不二先輩と付き合いたい中2女子の心は失われないだろう。しかしテニラビに熱中しすぎて眼精疲労がすさまじいので、しばらくは自重する。視覚に頼りきった刺激/フィクションの摂取が多すぎて偏りを感じたので、気分転換にクラシックあるいは外国語のポッドキャストを聞いてモードを無理やり切り替える。モードの反復横跳びが過ぎるので時々反動にめまいがする。テニミュの「Do your best!」のあとにラフマニノフのピアコン2番が流れてくると結構ぎょっとするからやめてほしい。

基本的に現実から逃げることしか考えていないのでしょっちゅう旅行に行きたがるのだが、そういうわけにも行かないので本を読んでその空間にいる気持ちになることが多い。半年前に行ったくせにもうヨーロッパの乾燥しているのに鈍い空気が恋しくて、石畳の上を闊歩したくて、その気持ちをぶつけるようにフランス文学を読んでいる。モーパッサンの『女の一生』は途中であっけらかんとしたしかし残酷なシーンがあって、そのきっぱりとした悲劇らしくない描写にむしろ鶴屋南北を思い出した。号泣している人よりも涙を流せずにぐっとこらえて、代わりに空をにらんでいる人のほうがよほど腹の中のマグマを想像させられて沁みる。これは今月観た玉三郎だ。イメージが混濁していってそのうち記憶もぐちゃぐちゃになるかもしれない。

何か一つを極めるだけの集中力あるいは熱意を維持し続けられないことに対して、ずっと劣等感を持っていた。そしてどうにかそれを克服できないかとももがいてみたけれど、私に足りないことはその集中力あるいは熱意を獲得することではなくて、複数の領域を横断しながら全てを吸い尽くす覚悟なのではないかと思った。たぶんそれは何か一つだけを極めるよりも時間を要するし忍耐も必要で、件の劣等感との付き合いも長くなると思われるけれど、でも全て自分の要素なのだから切り捨てられない。明日の自分がどう思うかは知らないが、こうやって騙し騙し自分と折り合いをつけていたらいつかは終わるだろう。そういえばもうすぐ永遠を誓った日から1年が経って、私は人妻2年生になる。単位はどうであれ、1+1を積み上げていくしかないのだと、今は思っている。