the happy few

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初夢という名の祈り

LA LA LANDが公開してから、来月で1年になる。やっと1年、まだ1年。この映画についてはこの記事で思いのたけをぶちまけたけど、今でもフラッシュバックのようにシーンが蘇る。脳内で、あの音楽とともに。

どういう理由でかはわからないけれど、心を激しく掴んで揺さぶってくるものとの出会いは年々減っているように感じている。私の感性が死につつあるのか、出会うべきものにはすでに出会ってしまっているのか、あるいは別の理由なのかは知らない。最近は即効性のある一過性の劇薬みたいな興奮を買って、退屈を凌いでいる、と感じるときすらある。

 

LA LA LANDについて考えるとき、いつも最終的には人間関係の継続性について考えることになる。

人間関係はナマモノだ。関係性は一度獲得したら続けなくてはならない。義務ではないけれど、そうしない限りあっという間に失われてしまう。買ってきた花に水をやらなかったらあっという間に枯れてしまうとか、そういった原理。

例えば一時の親友なんて存在しなくて、一方あるいは両方による関係性を継続・維持したいという意思の存在が持続しなくてはならない。恋愛より友情のほうが厄介だと思うのはこのせいだ。友情は恋愛よりもよほどグレーで流動性が高い。相手をたった一人に絞る必要もなく、意思確認のイベントも格段に少ないからだ。

 

初夢を見ることに、わくわくしなくなったのはいつからだろう。

夢の内容は、残酷なほどアンコントローラブルだ。見る人の意志なんてお構いなしのキャストと脚本。夢を見るのが怖くなったのは、夢に出てきてほしい人よりも出てこないでほしいひとのほうが増えてきたから。たとえ初夢にみたところで、正夢にはなりえない。そんな人が増えてきて、たぶんこれからも増え続ける一方だから。

そういう人たちとは、きっぱりと決別できていないのだ。ミアとセブが二人の分岐点をそれぞれの言葉であらわして、繋いだ手を離したような、決別が。決別する機会すらきっともうない、空白の時間に薄められた関係性を見せつけられて、打ちひしがれる。それが怖いから、夢を見ることはもう好きになれないと思う。