(本当にあったかもしれない、いつかの)ぬるい夜

 ぽっかりと空いた時間をひとりで過ごせるということは、おとなとして大事な能力だ。

 なぜなら、歳をとると何かや誰かを待つことが格段に増えるからだ。仕事でも、プライベートでも。だから、ひとりの時間を持て余さない自分を誇りに思っていたし、そんな自分を--成熟途中ではあるけれど--大人の女性になった、とどこか感慨深く思う。

 

 出張で訪れたシンガポールは、折り目正しく、遊びどころのわからない国に見えた。ローマやパリと違って、ひやひやさせられることもなければ胸を打たれることもない。ある意味ビジネスにはとても適した、無機的な土地。

 スーツケースをチェックインカウンターで手放し、仕事からも解放されたフライトまでの数時間を、読書や買い物で費やす気にはなぜだかなれず、空港の案内図で見つけた屋上のバーに向かうことにした。そういえばここチャンギ空港は世界有数の空港で、探検するに値するはずだ。久しぶりに取り出した子供心が足取りを軽くする。おとなの女性に相応しい考えではないだろうか、とそのアイディアを自画自賛しながら。

 

 この地域ならではの湿った空気と数々のサボテンたち、そしてまばらな客たち、陽気な男性が弾くギターの音。それが私を迎えたものだった。

 そのバーは屋上にあるサボテンの庭のそばに併設されており、コの字型のカウンターの奥には酒瓶が並べられていた。飛行機のエンジン音が時折鼓膜を震わせる。それが嫌いではなかったし、駐機場の数々の機体を見てそのアンバランスさを気に入りさえした。サボテンと飛行機、なかなか思いつかない組み合わせだ。

 ギターの主は正しいのかよくわからないメロディを紡ぎながら、ウィンクを飛ばしてくる。スーツを脱ぎ、フライトのためのリラックスした服装に着替えているので、すこし幼く見える。けれど注文すればすぐにカールスバーグは運ばれてきて、そのなみなみと注がれた液体を見たとき、やっと緊張の糸が少しだけほぐれたのだった。

 

 日本時間の土曜朝に着く深夜便で帰るのは億劫だった。シンガポールを観光する十分な時間はなく、けれど日本に帰れば旅の疲れで夕方頃まで寝てしまうだろう。結局一日棒に振ってしまう。

 だからこそ開き直って、搭乗し座席についたらすぐに眠れるくらいの量は飲んでもいいだろう、と思った。幸いアルコールに弱すぎるわけでも、まったく酔えないわけでもない。疲れも手伝って、きっと2杯程度で切り上げることになるだろう。

 

 BGMはほとんど知らない曲で、だからこそぼうっとすることに集中できた。何も考えなくていい。今この場所で、自分の日常に繋がっているものは何もない。自分の居場所でも、責任のある何かでもないところで、名前のないただの20代女性でいるのは想像していたよりも穏やかなことだった。

 

 1杯目のビールを半分ほど飲んだところで、目の前のバーテンダーがもう1杯、グラスを置いた。視線で疑問を伝えると、彼は視線を誘導した。その先には、おそらく30代半ばくらいの、赤いTシャツを着た男性。今の気候によく合った格好だ、とぼんやりと思った。彼はにこにこと愛嬌を振りまきながら、当然のように隣の席に移動してくる。

 

「ビール、頼んでいないけれど」

「うん、それは僕から。一緒に飲んでくれる?」

 

 お酒に弱いふりをすることを考えたけれど、それまでのビールの飲み方でばれているだろうし、何よりお酒に弱い女性は1人でビールを飲んだりしないだろう。

 幸い搭乗までは1時間弱、軽く相手をしてタイミングを見計らって消えればいい。

 

「ありがとう。遠慮なくいただくわ。シンガポールの人?」

「いや、僕はオーストラリア人。シンガポールは旅行で来ていて、これから札幌に行くんだ」

「へえ、何しに?」

「スキーだよ!日本が大好きだから楽しみなんだ」

 

 節度のある距離と飲み方、会話。見るからに歳上なのに犬のような、無害そうな表情。心を許すわけではないけれど、暇つぶしにはちょうどいい時間の遣い方だ。

 日本に行くということは、とはたと考えついて「もしかして、羽田まで行くの?」と訊くと、「そうだよ」とひらりとチケットを見せられた。同じ便に搭乗するようだ。まあ面倒なことにはならないだろう、と高をくくって笑顔を返す。

 

 実際に彼は、警戒心を削がせるほどにジェントルだった。過度な詮索(「彼氏はいる?」「今何歳?」「何の仕事をしているの?」)はせず、ただただその場の雰囲気と音楽を楽しんでいるように見える。ほかにいる数少ない客にも声をかけ、そのたびに乾杯。ただただ、今この一瞬を可能な限り楽しみたいだけなのだろう、と思った。

 母国語でない英語で会話をしていることも手伝って、いつもよりも開放的な気持ちになっている自分を自覚する。大人になってお酒をのめるようになって、一人で異国の地に来ると、こういうことも起きるのだ。見知らぬ男の人にお酒を奢ってもらうなんて、まったく大人の女性そのものであるように思えた。

 

 他愛もない会話を続けていると、彼がもう一つビールを頼む。当然のように、私の前にももう一つそれが現れた。遠慮をするのもばからしくなって、目の前に並ぶビールグラス(空いたものがひとつ、飲みかけのものがひとつ、満杯のものがひとつ)を見て思わず笑ってしまう。なにをしているのだろう。隣に座る彼は、真っ赤なシャツに負けじと顔を赤く染めている。思っていたよりお酒に強くないようだ。

 時々心地よい風がバーを吹き抜ける。天井からぶら下がっている小型テレビはいろんなことをまくしたてているけれど、ほとんど頭の中に入ってこない。少しアルコールに酔いながら交わしているこの会話も、今は楽しんでいるようでいて結局このテレビとそう変わらない、記憶されない”瞬間”だろうという不思議な予感があった。記憶されなかった時間に、何の意味があるのだろう?いつかぼんやりと思い出して、その解像度の低さに愕然としながら、そんなこともあったと一笑に付すのだろうか?

 

 そろそろ行かなくてはね、と促されて、席を立つ。彼はさっさとカードを切っていた。お礼を聞くのもそこそこに、楽しい時間を過ごせてよかったよ、早くゲートまで行かなくちゃ、と屈託なく笑う。ジェントルではあるけれど、うっすらと感じさせる好意のせいで居心地が悪い。荷物をとって、クーラーのよくきいた屋内へ戻った。もう時間も遅いので、搭乗ゲートの近くにいる人々はみんな同じ便の乗客だ。

 彼の表情に少しだけ名残り惜しさを見た。私たちにとって、ビール2杯分(あるいは彼にとっては4杯分)の時間。皮膚の上のかすり傷にもならないそれは、記録しなければ記憶から零れ落ちるだろう。

 

 ゲートが開くのを待っている人ごみの中で、彼が突然声をあげた。あったはずのチケットが見つからないと言うのだ。もうゲートが開く直前で、バーまで戻るには結構距離がある。どうしよう、と無言で訴えられる。日本の航空会社を利用するので、近くにいた日本人のスタッフに声をかけた。

 

「この人がチケットなくしちゃったそうなんです」

 それを聞いたスタッフは彼のもとに行く。そっとすれ違って、私はそのままゲートを通った。なんて冷たいのだろう、と思いはしたけれど、罪悪感や申し訳なさはまるでなかった。私にとってビール2杯分の好意は、その程度のものなのだろう。

 

 彼が何かを言っている。その気になれば理解できるけれど、もう脳内チャンネルを日本語に切り替えているから、聞こうと思わない限り言葉として耳に入ってこない。外国語のいいところだ。その音を振り切って、というよりも纏ったまま気にもかけずに、機内に乗り込んだ。自分の席を見つけて、シートに体を預ける。アルコールのおかげで少しふわふわしている。一度目をつむったらすぐに眠れそうだ、と思ったが最後、次に覚醒した時にはすでに空の上にいた。

 もう顔すらも思い出せやしない。