いと短き秋のこえ

慎ましやかさがないくらいに突然秋がやってきましたね、東京。残暑に対する秋の戦闘力の強さを感じるレベル。普段はもっとじわじわと、気づいたら浸食されているようなゆるやかな波の寄せ方なのに、今年は襲来という言葉すら似合う。それゆえになんだか季節の乗り換えがうまくいきません。

無理やり秋色リップをつけても、ちょっとトーンの低いお洋服を身に着けても、「え、まだ夏?いやもう秋?」とすこし浮ついてしまう時期。せめて日が暮れたら秋と決めつけて、本を読みながら夜更かししたいなと思ったり。
そこで、一度読んだけれど、今また読みたい本について書いてみることにします。

  • 食欲が増す言い訳を、季節以外にも求めたい

夏があっさり去るのに文句を言いつつも、栗とか梨とか好きな食べ物の多い秋が来るのはうれしい。それに、これだけあっさり去られたので夏に名残りがあるように思うけれど、寒くなっていくのはなんだか身が引き締まる感じがして好き。
食いしん坊なので、文字からも食事を摂取したい。登場人物も、エッセイストも、おいしいものを目の前にするところから始まる物語たち。


女流作家4人によるアンソロジー。ヨーロッパの国々とそこでの人間関係、そして食事。同じ食卓を囲むということは、同じ成分を体内に取り入れていることと同じで、つまり数パーセントくらいは同じ人間になっている、と言えるのかもしれない。そんなことを考える本。

旅行者の朝食 (文春文庫)

旅行者の朝食 (文春文庫)

貧乏サヴァラン (ちくま文庫)

貧乏サヴァラン (ちくま文庫)

食べることが好きな人、こだわりがある人ってなんだか好き。信頼できると思う。自分の体内に何を取り入れるかに、真正面から向き合っていられることは誠実だと思うので。そういうひとたちの文章が信頼できるのは、言うまでもないことだ。

  • 自分ではない誰かの関係性の疑似体験、あるいは迷い込む

流しのしたの骨 (新潮文庫)

流しのしたの骨 (新潮文庫)

江國香織作品を読まなくなってしばらく経つけれど、中高生の時に読んだこれはいつまでも人に勧めてしまう。兄弟がいることへの憧れなのかもしれない。自分を正しく理解してくれている、と思える人がいるのは素敵なことだ。

四季 春 (講談社文庫)

四季 春 (講談社文庫)

森博嗣作品はどれも好きで、S&Mシリーズを特に愛読しているけれど、四季から読み始められたらまた違った読書体験になっていただろうと思う。すべFはドラマ化しましたが、四季は春~冬まで4作ほんとうにうつくしい構成。今から春と夏を追体験しましょう。

台所のおと (講談社文庫)

台所のおと (講談社文庫)

幸田さんの文章はいつだって冬のつめたい朝の台所に立つ母の後ろ姿を思い出させてくれる。人気のない家の中、温度がまばらな部屋で、まな板の上の包丁の音がするどくあたたかく聴こえる不思議。安心するし、背筋がのびる。


気づいたら自分の中にしっかりと根を張っている作品ばかりを挙げてしまった。
食べてきたもので人が構成されているのと同じように、摂取してきた文字によっても人の構成は変わると思う。誰かの秋の夜長のお伴ができますように。