わかりやすい恋

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おとなになるっていうのは

この1年くらいで、来るぞ来るぞと言われていた結婚出産ラッシュが本当に来ていてびっくりしている。自分自身割と早めに結婚しておいて何を言うか、という感じもするけれど、友人の結婚報告を聞いたりFacebookで妊娠・出産報告を見たりするたびに、本当にもう第一波が来たんだなあとしみじみしてしまう。

結婚してから4ヶ月、いろいろなひとに会ったけれど、特に高齢の人もしくは若い男性に「子供は?」と聞かれる確率が高い気がする。若い女性、つまり同年代の友人たちはむしろ自分のことに精一杯で聞かないのかもしれないし、デリカシーが備わっていて聞かないのかもしれない。聞いてくる人たちはおどろくくらいあっさりと、あっけらかんと、さも当然かのように聞いてくる。「子供はまだなの?どうするの?」って。

こう聞かれることに怒っているわけではない。ただただ純粋に驚いてしまうのだ。結婚したら子供を産むんでしょう、って当たり前に考えられていることに。きっとそれがマジョリティなのだろうということに。
私自身の答えはいつも決まっていて、「うーんそのうち、あと2、3年したらね」。もちろん選択肢としてはあるけれど、子供を産むために誰かと結婚したかったわけでも、結婚したわけでもない。そして何よりも、子供を産んでしまうことの不可逆性を、いまは恐れていると思う。

 

そもそも1年半くらい前まで、ひとはどういう条件が揃った時に結婚しようだなんて思えるのだろう、と不思議だった。一生一緒にいるひとを暫定的とはいえ決めちゃうなんてリスクでしかないし、何が起こったらそんな大きな決断をできるの?と思っていた。親をはじめとした既婚者に、「なんで結婚しようと思ったの?」と難しい問いを投げかけたこともあった。そのたび大概歯切れの悪い答えが返って来て(「なんとなく」「そういう流れで」)、なんじゃそりゃ…と思っていたら本当に自分も「そういう流れで」結婚してしまった。

 

でも結婚と出産は決意のレベルがまったくちがうと思う。離婚はできるけど、一度産んでしまったらもう母親という役割から逃れられない。会社員だろうが専業主婦だろうが、その前提の母親という肩書きは消えない。

そんな不可逆を私はまだ受け容れられないと思う。一方で、同級生や先輩たちがどんどんそれを受け容れていくのをみて、ただただすごいなあと思う。25歳やそこらでもう、それから先の人生ずっと誰かのお母さんであることを選べるなんて、ほんとうにすごい。

 

たぶん私はまだ子供なのだと思う。自立していない誰かの責任を負う覚悟がまだない。「大概の母親はそういうものだよ、産んでからそうなるんだよ」、という意見もわかるんだけど、そもそもその誰かに自分の時間を最優先で遣いたいと思えない。まだ他にやりたいこと、やるべきことがありすぎる。働いてる場合じゃないとすら思うのに。

結婚してもおとなにはなれなかった。自分で稼いでいるというだけで、まだどこか逃げ腰だ。「子供を持てば軈て苦痛も失せるのか」、この歌詞がここ数年になって染みるようになった。

 

来週26歳になるのだけれど、実は30歳になるよりも大きな壁を越えるのではないかと思っている。25歳までの5年間も色々あったけれど(就職、転職、結婚)、これから30歳までの5年間で、たぶん私の残り時間の遣い方がおおむね決まるような気がしている。

 

未来の自分が納得して、後悔しない道を選んでいかなきゃなあ。ほんとうはDINKSのうちに貯金しておきたいのだけれど、子供がいないうちじゃないとできないことをしなくちゃと思って、時間の有限性に焦る今日このごろ。いまのうちにたくさん、友人と旅行に行ったりいろんなものをインプットしたりしたい。