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わかりやすい恋

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あと数十回の季節

自覚はしていたけれど案の定4月は4月というだけで調子が悪く、何かを書いては消してを繰り返しているうちにゴールデンウィークがきて過ぎ去っていった。

この季節もあと数十回しか経験できない、と思うと少しは好きになれるかと思ったけれど、この一週間の夢見の悪さはもう笑っちゃうほどで、主に生きてるけどもう会えない/会わないだろうひとたちのオンパレードだった。昔から中長期休みは、精神的にどうやり過ごせばいいのかがわからなくて結構鬱々としていた、なんてことを思い出す。

それでも今年はそれなりに楽しいこともあったから、いつかの自分のために記録しておく。

 

・初めてニコニコ超会議に行った

毎年ひとのポストを見て開催を知るニコ超だけど、今年は夫さんのおかげで行けた(チケット的な意味とモチベーション的な意味で)。予定していても当日そのモチベーションを保っていられるかどうかが定かじゃないところはわたしの長年の欠点だという自覚はある……。

ニコニコは高校生の時に膨大な時間を費やしたコンテンツだった。当時はSNSなんて流行ってないから、好きな歌い手さんとか実況のひとの動画のURLを友達のPCメアドに送りつけて見て!!ってするのが主流だった。スマホすらないし。どうにかして動画をiPodに入れて、それをイヤホン半分こして視聴するくらいがせいぜいだったあの時代。

しかし一方夫さんはニコニコ動画を見るという文化はなく、「ボカロとか聞かなかったの?」「聞かないねえ」「ゲーム実況とか見なかった?」「…見ないねえ」「……なにしてたの?」「……勉強?」と学年2つ違いの高い高い壁を見せつけられる有様。ニコ超行って楽しいのか?と一抹の不安を抱えて参加したけど、結果的にはめちゃくちゃ満喫できた、というかエモかった。

某航空会社のブースに行ったりテレビちゃんのフェイスペイントしたりといろいろ楽しんだけど一番は超歌舞伎だった。元々ニコ動ユーザー、かつ歌舞伎を卒論に使ったくらいだから刺さるかもなとは思っていたけど。

だってニコ動はもうマイナーコンテンツじゃなくなっていた。地下ドルとかバンドがメジャーデビューするのを見るときともまた違う、うーんなんだろう、自分の居場所を見つけたんだなって思った。いじめられっ子が輝いてるのを見てるのに近いのかな。知ってる人とか好きな人はごく限られてると思ってたコンテンツが、たくさんの人に愛されて応援されてるのを生で見るのはなかなか、大きなエネルギーを感じる体験だった。好きっていう感情エネルギーはほんとうに無敵だよ。

獅童さんは古典のときは見ようと思わないけど、今回みたいなロックっぽいのは合ってるし映えてた。そしてこの、ひとがやらないことをやって新しいものを作っていく、ってスタイルはどうしようもなく歌舞伎のそれだと認めざるを得ない。傾いていた。

ミクの調教すごいとか音楽ジャズっぽくしてておしゃれとかいろいろ思うことは他にもあったけど、いつかあの頃ニコ動を一緒に観た子達と共有できたらいいな。

 

 ・『作家、本当のJ.T.リロイ』を観た

チラシの美少年の写真がずるかった。麻痺させるという心の防御反応なのかもしれないけど、その自叙伝の痛さみたいなのは全くこちら側に響かなくて、ただただ嘘と存在について考える時間になった。

嘘に嘘を重ね…というストーリーの行き着く先はいつも同じだけど、この場合は本当に嘘なのか?もしくはついてはいけない嘘なのか?のギリギリのラインをずっとうろうろしてる。出てくるひとたちの自意識にくらくらしながら。

でも嘘なんて見るひとがつけたレッテルなだけで、それを見るひとの数だけ嘘とか本当とか何パーセント嘘とか、そういう捉えられ方があるんじゃないかとも思った。

 

あとは本を読んだりアニメを観たり料理をしたりお酒を呑んだりしていた。ひとに料理を振る舞うのが意外と好きだということに気づいた。料理はある種のプレゼンテーションで、だから自分がその集まりに対してどう構成するかを客観視するのがたのしい。単純に、料理が好きというのもあるけれど。無心になれて目に見える成果物があるものって貴重だと思う。

梅雨は梅雨でいまから憂鬱なわけだけれど、今年は国外逃亡で梅雨からも逃げてやる。楽しいことでいやなことを薄めて生きていきましょう。