いろいろな恋: 村上春樹「恋しくて」

2015年に伊香保竹久夢二記念館に行った時に、村上春樹の「恋しくて」を目にした。竹久夢二の「黒船屋」が表紙に使われていて、トリミングの影響でその絵は原作よりも艶めかしく見えた。欠けている、ということは色気がある、ということの必要条件。

 

恋しくて - TEN SELECTED LOVE STORIES

恋しくて - TEN SELECTED LOVE STORIES

 

これまであまりに引越しが多く、これからも多いだろうと想定されるので、できるだけ本、とくにハードカバーは買わないようにしている。ので、そのときも買わなかったけれど、このたび文庫本をやっと読めました。

 

村上春樹が選んで訳した恋愛小説、というのがこの本の売りなわけだけど、すべて少しずつ色や温度が違って、楽しんで読めた。作品ごとの村上春樹の評価(甘さと苦さをレーティングしてる)もおもしろい。苦ければ苦いほど、甘みが引き立つ作品もあったりして。

 

わたしは恋が好きだと思う。恋によって使われるその感情エネルギーを自覚した瞬間が、とくに好きだ。他人に干渉されている(ことをうれしくおもえる)幸福。

たぶん世の中にはいろいろなひとがいて、恋愛体質だったり恋愛なんて二度としないと思ったり、そのベクトルはさまざまだけど、少なくとも恋愛に対して何かしらの興味や過去をもつひとは、たのしんで読める本だと思う。村上春樹が選んだ作品たちのどれかが琴線に触れて、思い出す恋がきっとある。

 

わたしのとくに好きだったを3つ記録。

「L・デバードとアリエットー愛の物語」(ローレン・グロフ)

50ページ程度なのに壮大な、一本の映画のような作品。一人の水泳選手の栄光と衰退、一人の富豪の娘の、結局は籠の中の人生。その二つの時間の交わり。

わかる、わかるけどみんなもっと他にもやり方あったよね…!ともやもやしながら読み進める。水のつめたい流れと、冬のつめたい空気が漂っていた。

本筋とは関係ないけれど、村上春樹の訳し方が、「~が起こった。」「~だった。」と過去形なのではなくて、多くが現在形なのが面白い。

 

「恋と水素」(ジム・シェパード)

これは好き嫌い別れるんじゃないかなあ。まず「恋する惑星」「普通の恋」とか、恋が入るタイトルや短いフレーズが好き(そういえばこのブログにもこのポストにも恋が入っている)な私はタイトルだけで気になっていました。しかも水素。

飛行船の乗務員同士の恋。彼らの仕事が危なっかしくて、ああいつかこれは…って思いながら読み進めていくのでひやひやする。そして隠された恋であるので、余計に。秘密はいつもどうしてこんなにも。

終点は見えているのに、そこに向かっていくのを止められないのが、まるでジェットコースターのよう。やきもきさせられるのが好きな人は面白く読めるかもしれません。私はグニュッスが好きでした。

 

モントリオールの恋人」(リチャード・フォード)

社内不倫の話。こういうものを読んでいてドキドキする年になりました。

お別れしてきれいな思い出にするための彼女なりの儀式、に振り回されるヘンリー。という解釈をした。世の中には、自分でゴールを決めなくちゃいけない関係性もある。むしろ終わらせ方を選べる関係性なんて少ないから、贅沢なことなのかもしれない。

この関係を長く続けたいけれど、いつかは終わりが来るのね。それは絶望というよりは諦念で、私の知る限りそういう点では女性のほうが現実的だ。だからマデレインの気持ちは理解しやすかった。

選んだ3篇はどれも切ないけれど、これは特に現実的な切なさだったと思う。

 

TOP3からは抜いたけれど、「甘い夢を」(ペーター・シュタム)も好き。これはちょっと江國香織っぽいテイストだなと思いながら読んだ。例えば大学生なのに付き合い始めたいきおいで同棲を始めたカップルだとか、高校生カップルが遠くに旅行に行ったことを知った時だとか、そういういつか終わることを信じない盲目さがある時期の話。

 

恋って好きだな。幸せになってもならなくても、自分の中で光る星になってくれる恋も、道しるべになる恋も、いろんなものを奪われる恋も。どんな形であれ、他人に関わられたい、という欲求のあらわれなのかもしれません。