わかりやすい恋

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人生初めての占いで泣いた話

ここ数年ずっと悩んでいることがある。それは数ヶ月に1度くらい、何かの症状のように現れては消え現れては消えていく悩みなのだけれど、ずっと悩んでいるだけで行動に移さないからその程度、とも言えるし、ずっと悩んでいるくらいなのだから本当によほど、とも言える。

多分これは周りの人に納得してもらえると思うのだけど、私はあまり占いに興味はないし信仰心(宗教に対する、ではなくむしろ人間の発する言葉に対して)は低い方だと思う。
けれどたまたま、ひょんなことから占ってもらうことになった。

土曜の午後を友人とべったりまったり過ごしていた私に、合流した友人が「占いできるバー行く?」と土曜の夜に相応しい提案をしてくれて、連れて行ってもらった。
よくある雑居ビルのバーで、案外明るかった。占いってきくと陰気なあやしい人がいるイメージだったけど、朗らかな初老の方がきびきびと動いてらして。
「おくすり」というアルザスの奥深くの修道院で作った薬草で出来たカクテルをいただきながら、頭の中ではGo!Go!7188の「おとなのくすり」が流れる。ちなみに「おくすり」はものすごく複雑だったけど、後を引くお味だった。また飲みたい。

ひと段落したところで、カウンターに座る私たちにマスターが「そろそろ始めましょうか」と声をかけてくれる。
妙齢の悩み多き女性3人、占ってもらうトピックには事欠かないけれど、友人二人は恋愛、私は人生についてタロットで占ってもらった。
ひとりひとりへの占いスタイルが異なって、ギリシャ十字とかケルト十字とか(うろおぼえ)使用するタロットの枚数とその配置がぜんぜん違っておもしろい。
タロットの持続効果は3ヶ月程度とのことで、9月くらいまでの指針をもらった。

本当に全然占いなんて信じてないし、それまでカウンターでわあわあ喋っていた私たちの会話を聞いてそこから出てきたタロットの意味と掛け合わせてストーリー展開してるんじゃないの、とか穿った見方を思わずしちゃうのだけれど、それでもそのときマスターが言ってくれたタロット占いの結果は、私が冒頭に書いた悩みを考える中で言葉にしないけれど頭のどこかでうっすらと予感していることを予言していて、見透かされているという驚きと背中を押してもらったことへの安堵、喜びが大きくて泣きそうになった。
近しい人や大切な人の言葉にももちろん救われるときがあるけれど、こういうその時通りすがった人から貰った言葉って関係性という文脈がないから余計に色濃く印象に残る。頭の中でぴかぴか光っている。
私も誰かにとってそういう言葉を残せる人になりたいなあ。

普段自分から見ようとしないもの、行かないところ、に連れて行ってくれる友人や偶然や時間は本当に尊いな、と思いながら帰る足取りがとても軽かった。

あと数十回の季節

自覚はしていたけれど案の定4月は4月というだけで調子が悪く、何かを書いては消してを繰り返しているうちにゴールデンウィークがきて過ぎ去っていった。

この季節もあと数十回しか経験できない、と思うと少しは好きになれるかと思ったけれど、この一週間の夢見の悪さはもう笑っちゃうほどで、主に生きてるけどもう会えない/会わないだろうひとたちのオンパレードだった。昔から中長期休みは、精神的にどうやり過ごせばいいのかがわからなくて結構鬱々としていた、なんてことを思い出す。

それでも今年はそれなりに楽しいこともあったから、いつかの自分のために記録しておく。

 

・初めてニコニコ超会議に行った

毎年ひとのポストを見て開催を知るニコ超だけど、今年は夫さんのおかげで行けた(チケット的な意味とモチベーション的な意味で)。予定していても当日そのモチベーションを保っていられるかどうかが定かじゃないところはわたしの長年の欠点だという自覚はある……。

ニコニコは高校生の時に膨大な時間を費やしたコンテンツだった。当時はSNSなんて流行ってないから、好きな歌い手さんとか実況のひとの動画のURLを友達のPCメアドに送りつけて見て!!ってするのが主流だった。スマホすらないし。どうにかして動画をiPodに入れて、それをイヤホン半分こして視聴するくらいがせいぜいだったあの時代。

しかし一方夫さんはニコニコ動画を見るという文化はなく、「ボカロとか聞かなかったの?」「聞かないねえ」「ゲーム実況とか見なかった?」「…見ないねえ」「……なにしてたの?」「……勉強?」と学年2つ違いの高い高い壁を見せつけられる有様。ニコ超行って楽しいのか?と一抹の不安を抱えて参加したけど、結果的にはめちゃくちゃ満喫できた、というかエモかった。

某航空会社のブースに行ったりテレビちゃんのフェイスペイントしたりといろいろ楽しんだけど一番は超歌舞伎だった。元々ニコ動ユーザー、かつ歌舞伎を卒論に使ったくらいだから刺さるかもなとは思っていたけど。

だってニコ動はもうマイナーコンテンツじゃなくなっていた。地下ドルとかバンドがメジャーデビューするのを見るときともまた違う、うーんなんだろう、自分の居場所を見つけたんだなって思った。いじめられっ子が輝いてるのを見てるのに近いのかな。知ってる人とか好きな人はごく限られてると思ってたコンテンツが、たくさんの人に愛されて応援されてるのを生で見るのはなかなか、大きなエネルギーを感じる体験だった。好きっていう感情エネルギーはほんとうに無敵だよ。

獅童さんは古典のときは見ようと思わないけど、今回みたいなロックっぽいのは合ってるし映えてた。そしてこの、ひとがやらないことをやって新しいものを作っていく、ってスタイルはどうしようもなく歌舞伎のそれだと認めざるを得ない。傾いていた。

ミクの調教すごいとか音楽ジャズっぽくしてておしゃれとかいろいろ思うことは他にもあったけど、いつかあの頃ニコ動を一緒に観た子達と共有できたらいいな。

 

 ・『作家、本当のJ.T.リロイ』を観た

チラシの美少年の写真がずるかった。麻痺させるという心の防御反応なのかもしれないけど、その自叙伝の痛さみたいなのは全くこちら側に響かなくて、ただただ嘘と存在について考える時間になった。

嘘に嘘を重ね…というストーリーの行き着く先はいつも同じだけど、この場合は本当に嘘なのか?もしくはついてはいけない嘘なのか?のギリギリのラインをずっとうろうろしてる。出てくるひとたちの自意識にくらくらしながら。

でも嘘なんて見るひとがつけたレッテルなだけで、それを見るひとの数だけ嘘とか本当とか何パーセント嘘とか、そういう捉えられ方があるんじゃないかとも思った。

 

あとは本を読んだりアニメを観たり料理をしたりお酒を呑んだりしていた。ひとに料理を振る舞うのが意外と好きだということに気づいた。料理はある種のプレゼンテーションで、だから自分がその集まりに対してどう構成するかを客観視するのがたのしい。単純に、料理が好きというのもあるけれど。無心になれて目に見える成果物があるものって貴重だと思う。

梅雨は梅雨でいまから憂鬱なわけだけれど、今年は国外逃亡で梅雨からも逃げてやる。楽しいことでいやなことを薄めて生きていきましょう。

春は修羅

映画を見る。音楽を聴く。本を読む。ひとに会う。そうやって平坦な一日一日が過ぎていって、気づいたらおばあちゃんになっているんじゃないかと思って怖い。多分わたしは貧乏性なのだ、時間に対して。

カレンダーや予定表が埋まっていないと怖いのは、誰かから刺激を得たいとか誰かと一緒にいたいとかそんな理由じゃなくて、むしろ自分の空白の時間(ひとはそれを退屈と呼ぶのかしら)を恐れているだけなのだ。ただの空白の一日ってたまにあるご褒美だからありがたいんだと思う。ただの空白の一日が何万日か続いたら人生は終わるんだよ、何もない人生でしたって。


空白を埋めてくれることはいくつかあって、仕事と恋愛と趣味と勉強。大体このどれかにカテゴライズされる。友人に関しては、ある種恋愛に分類される子もいるし、ある種の勉強である子もいるし、むしろこれらの空白を一緒に埋めていく戦友みたいな子もいるから一概に言えない。
仕事と恋愛に関してはもうある程度自分の進むべき道が見えて、頭を使うことが本当に少なくなった。仕事、勉強にカテゴライズされるもの以外はもはやルーティンになりつつあって、いつか自動化されるんだろうなって妄想したりしている。仕事の中の勉強は自分のまだ持ってない知識や経験だから面白いけど、それがなくなったら働く理由って本当に、ない。

そして趣味。今までありすぎてむしろ無趣味だなって思っていたけど、ただただ何に対しても中途半端なだけだな。三口目くらいまでのおいしいところだけ食べてあとは飽きちゃうから、って誰かにあげるのと同じことをしているような気がする。読書は好きだけどかなり偏ってるし、映画観るのも好きだけどそれは決められた時間じっとしていれば物語を消費できるところが気に入っているだけなんじゃないかと思うし。旅行だってたぶんそうで、どこに行って何を見て何を食べるかを考えているときは楽しいけど、いざそれを実行すると過去の自分に決められた行程という意識が強くて純粋に楽しめない(かといって行き先だけ決めてあとは自由行動、は最大限楽しめないんじゃないかと思ってしまってチャレンジできない)。あああめんどくさい。自分といういれものがめんどくさい。

春という季節がいちばん嫌いだ。なにかにつけて感傷的で、どこかいい人ぶって見える。春、出会いの季節!とか見るともううんざりする。春はいっそ強制的なまでに内省的になって毎度参る。五月病とは多分また違う性質のもの。それこそ中途半端に、これまで来た道を振り返るタイミングが転がっているのがよくないのだろう。

最近はドラマを積極的に見たり私にしては珍しく積極的に人に会ったり、予定や気持ちやテンションを合わせたり、していたけれどもういいや。と思って今はひたすら英語とフランス語と料理の勉強をしている。料理の勉強、まだ始めたばっかりだけど自分の日常生活で活かすタイミングが多いから精神衛生によいのではないかとおもう。日ごろ利便性と効率性ばかり重視してクックパッドや電子レンジに頼った生活をしているので、せめて時間をかければきちんとしたおいしいものを作れる、という状態になっておきたいと思って和食とフランス料理の本を買って眺めたりしている。時短じゃないレシピでかぼちゃの煮つけをつくったら、多少の手間でものすごくやさしい味になって感激した。実際に自分で食べられるので、無駄な時間と感じなくてすむのもよい。

春は修羅だよ。だましだまし空白を埋めながらじっと堪えよう。とはいえ夏が楽園だとも思えないのだけれど。

すべての女子のための白鳥エステ入門

友達に「白鳥エステどうなの?てかなんなの?」って聞かれるくらいTwitterで白鳥エステの話をしているので、そろそろまとめます。

 

エイチエスボディデザイン、通称白鳥エステは60分3000円~と超お手ごろ価格で施術を受けることが出来るエステサロン。

概要を言ってしまえば本当にこれだけ。

白鳥エステとの出会いは結婚式準備で、いいブライダルエステないかな~と探していたところ、いろんなブログで「痛い(めちゃくちゃ痛い)けど効果が出る、そして安い」と絶賛されていたので、夏休み(とはいえ11月)のサイパン帰りの浮腫みを引き連れてアキバ店に行ったのだった。
初っ端からNo.1エステティシャンの小江戸さんを引き当てる強運は置いておいて(特に下調べしたわけではなく、予約サイトを見てたまたま空いていたので予約。でもいつもは1ヶ月先まで予約埋まってるのに!)、それから通うこと約3ヶ月強、身体が変わったことはもちろん精神面でも変わったな~と思うことが多いので、最近は周りに勧めまくっている。もう4人この沼に引き込みましたw


というわけで勝手に白鳥エステをお勧めするポイントを列挙していくよ。とくに③④が大事だと思うけど、本当にただの個人の感想です。

①とにかく安い、ので続けられる
ブライダルエステって探してみるとものすごく高いんですよ……。普通に何十万取られるところばっかり。どのくらいの効果を出す前提でこの金額なんだろうと思って色々調べるけど、結局個人差がありますってなるのでそんなお金は出せないなーと思った。
白鳥エステの場合は、施術者のランク×オイルのランク×施術の長さで値段が決まるけど、そもそもコースという概念がないので行くも行かないも自分の勝手だし、あと大体の予算を伝えればそれと自分のなりたい姿に合わせて大体のスケジュールを組んでくれます。なので、他より安いのにちゃんと自分の気になるところにコミットできる(してもらえる)という安心感がすごい。コスパ最高。
私は3月の挙式に向けて、11月~1月はレギュラー、シニアなど色々なランクの方を試してみて(とはいえすぐにお気に入りの方が見つかったのでほぼその方たちにお願いしてたけど)、2月~3月は上のランクの小江戸さんにみっちりボディメイクしてもらうという贅沢なプランにしました。
大体1回あたり6000円~高くても2万ちょっと。普通の単発エステ行くと2.5万は軽くかかる印象なので、やっぱりお安かったです。

②実際やってみると痛い、けど効果が出る
私の場合はどの方にお願いしてもまず「冷えとコリとむくみですね~」と言われました。で、ですよね…。姿勢悪いしデスクワークだし運動あんまりしないし。
特に足とか肩甲骨のあたりはめちゃくちゃ痛がった記憶がある。別のお客さんを担当してた人に「痛がってるの聞こえましたw」って言われたり。一度カラーボール掴んで痛みに耐えていたのはいい思い出です。
でもちゃんと効果が目に見えるのがすごい。私の場合は足首、ひざ、ウエストのくびれ、肩甲骨の発掘が主な戦利品です。ウエストにいたっては多分マイナス7センチとかしたんじゃないかと思う…(ウェディングドレスがセミオーダーだったので、号数の目標を作ってそれに合わせました)。どれだけ浮腫んでたの!って感じですが、明らかにいろんな人に「小さくなったね」って言われます。

③オタ友に会いに行くついでにキレイになるような感覚で通える
通いやすさで言うと、安さよりも実はこっちが大きかったんじゃないかと思う。
普通のエステに行くとキラキラオーラ満載なお姉さんが施術をしてくれて、施術中の会話もキラキラなので気疲れすることがある。そういうトークをしたい、もしくは対応できるときもあるけど、そうじゃないメンタルなとき(「ユーリ!!! on iceがやばい語りたい」とか「あーもう今日疲れてるー」とか)でもエステに楽しく通える。私に関しては多分これが一番継続できた理由かなと思う。
白鳥エステのエステティシャンの方々の興味関心はまるで女子校のそれのよう。アニメ、舞台、声優、漫画、音楽、宝塚、ジャニーズ、2.5次元、洋服etc…なので、自分が一番語れるトピックのあるエステティシャンの方を探して選ぶと楽しいと思う。昨年末とかはしょっちゅう他のブースから「ユーリが」「ユリオが」「ヴィクトルが」とか聞こえてここは池袋か…?ってなったし、お客さんの層もそういう人が多いような気がしている。

ちなみに私が特にお世話になった方TOP3も紹介します!!!

堂々のプレ・エリートランク、安定の接客と施術スキルで安心してお任せしました。とにかく明るくて丁寧、絶対に目の前のお客様を綺麗にして帰すという強い意志をいつも感じます。どこの会社で営業をやってもトップセールスになるだろうなあ…と勝手に妄想してました。細かな変化にも絶対気づいてくれる、本当に(普通に社会人として)見習うところの多い方です。って真面目に書いたけどマジで楽しいよ!!!私基本的に美容院とかは同じところに通って、担当さんに「あ、この人あんまり会話したくない人だ」って察してもらってぼんやりしてることが多いんだけど、特に小江戸さんに関しては「今日何はなそっかなー」って心持で通っています。

 

  • 宍田さん@主に代々木店:

勝手に「職人」と呼んでいます。すごくお若いのに落ち着いていて、安定してる。波がない感じ。あと声がめっちゃ綺麗で好きですほんとに!音楽好きな方で、私が年末YOIの話しかしなかったときも「サントラ買いました~」って音楽の話してくれたり、ラッドとかバンプとかロキノン系の話したり(ほらほらこういうとこが女子校)。施術に関しては私の肩甲骨を発掘してくれた恩人です。オイルを使わない施術(コリにきくやつ)もできるのでよくお願いするのですが、痛気持ちいいのでよく爆睡しました(気にせず施術しつづけてくれます)。結婚式前最後のお見送り、嬉しかったなー。

  • 桜海さん@主に代々木店:

宝塚オタの小柄なかわいこちゃん。あと、施術がたぶん一番痛くないので痛がりの人や初めての方に特にお勧め。宝塚を主軸としているものの舞台全般お話できるので、よくテニミュとか2.5ミュの話をしてました(とはいえ昔の時代の宝塚の話たのしかった)(あと桜海さんの舞台まわりのアンテナの張り方がすごい)。柔らかい穏やかな雰囲気ですっごく癒されます。

書いてて思ったけどみんなRPGに出てきそう。小江戸さんは魔術師、宍田さんは職人、桜海さんは踊り子的な。

④エステティシャンの皆様が前向きなので、自分のメンタルもよくなる
エステの効果を最大化したいなと思ってセルフケアを始めたら、効果はさることながら、皆さんめちゃくちゃ気づいてくれるんですよ。「背中薄くなりましたね!」とか「今日足細いのでやるところないですね」とか。
エステに行く→綺麗になる→もっと綺麗になりたいので自分でもケアする→エステに行ったときにもっと効果が出る&褒めてもらえるのでもっとやる気が出る、という好循環ができる。
あとダイエットしてると結構停滞期ってあるけど、そういうときも「今はのんびりして自分にご褒美あげましょう~」とかさりげなく気遣ってくれるので、自己嫌悪とか罪悪感がめちゃくちゃ減って精神衛生的にとてもよい。ダイエットというか綺麗になりたいっていう気持ちの伴走をしてくれるような方が本当に多いので、停滞期に情緒不安定になりやすい私はよく慰めたり励ましたりしてもらっていました。
Twitterでも書いたけど、白鳥さん創業してくださって本当にありがとうございます…お陰様で結構ばっくり空いたドレス着られました。と感謝の念を飛ばしておく。

 

というわけで愛情のぶん長々と書きましたが、結論白鳥エステは別にブライダル専門じゃないので、お誕生日前とか旅行前とかいつものご褒美とかなんでも理由をつけて通うと楽しいよ!細くっていうか薄くなるよ!ってだけの話です。

結婚式が終わってからまだ行けてないのだけど、まずはお世話になった皆さんに会いに行ってお礼を言って、あと他の方もいろいろ開拓して(影山さんがすっごく気になっていて是非受けたい、ご本人美人さんだった)、今後は友達と白鳥エステデートしつつ自分のコンプレックスを滅していければいいなー。まずは新婚旅行までまたがんばろう。ダイエットは続くのであった。

 

白鳥エステのこと書いてるとつい語尾にハートをつけてしまいたくなる(私の中の女子が出てくる)のでいつもとトーンの違う文章になってしまった、たまにはご愛嬌ということで。

 

「で、新婚どう?」のこたえ

結婚式を終えた直後の先週一週間、周りに「毒気が抜けてる」「空気と髪ツヤと肌艶が綺麗…」と言われ続けたけれど、さすがにそろそろ汚染されてきたような気がする。

 

「結婚して何か変わった?」とよく聞かれるのだけれど、数ヶ月前から一緒に住んでることもあって、別になにも変わらない。朝起きて隣にいて、同じ家に帰って、同じベッドで眠る。こんな日をあと何万日か繰り返すのだと思う。それが日常。

変わったことは一部における名字と(会社では旧姓で呼ばれているし、カードや銀行の手続きもまだ出来てないのでいちいちどちらで書くべきか混乱する)、気持ちだけ。

 

もう誰かと恋愛で面倒な思いをすることは(きっと)ないのだという安堵が、思っていたより大きかった。

これから出会うほとんどの人たちは、左手薬指を見て私を対象外にするだろう。これまで何かあった人たちも、きっと倫理を越えてまでもうどうこうなりたいとは思わない、これまでいくらもあったタイミングを逃し続けたのだから。

だから私はもう、恋愛で煩わされることはないのだ。好きな人に振り向いてもらいたい、連絡していいかなあ、会いたいのに会えない、両思いのくせに報われない、そんないろいろに気持ちを占拠されることはもうない。その事実に、妙にすっきりしている。

 

関係は常に獲得し続けなければ腐るものだと思っているけれど、たぶんほんとうは、誰かの彼女という役割は私には億劫だったのだ。定期的な連絡や愛情表現、意思表示、そういった義務から解放された。厳密にはもちろん続けなくてはならない努力もあるけれど、ある意味私は、結婚という制度に甘える気満々なのだろう。

 

結婚して戸籍や指輪や名字に縛られて、こんな気持ちになれるとは思っていなかった。まだまだ何が起こるか何を感じるかわからなくて、なんだかすがすがしく、わくわくする春の始まり。

記憶の中で光り続ける日

先週結婚式を挙げて、人妻デビューした。

結婚式当日は聞いていた通り、あっという間だった。
これまでの人生のコミュニティでの、たくさんの思い出や感情を共有してきたひとたちが、笑顔で祝福してくれて。結婚したことそのものというよりも、そういうひとたちに囲まれていることが幸せで、これまでの辛かったこととか飲み込んだ気持ちとかが全部昇華されていくような感覚だった。「生きてきてよかった」、そんな日。


結婚式をしよう、という話になったときに、一番は親に感謝を伝えたいよね、と話した。これまで育ててくれてありがとう、これからもよろしくね、を伝える会にしたいと。

でも、実際に結婚式を挙げてみて、最終的に自分のためになったと思う。もちろん親に伝えられる限りの感謝は伝えたと思うけれど、それよりも、自分の覚悟を決めるタイミングになった。結婚式挙げる前に決めておけよって言われそうだけど、あんなきらきらな笑顔の中で大好きな人たちにお祝いしてもらったら、もう本当によほどのことがないかぎり離婚なんかできないし、しない。幸せになって、幸せでいることが権利じゃなくて、ある種義務になった日だったとも思う。


式まで(特に親族紹介)はずっとめそめそしていて、披露宴も号泣しそうだな~お化粧が~~と思っていたけれど、披露宴と二次会については終始楽しく(一部泣いたり恥ずかしかったりしたけれど)過ごせた。なんならはしゃぎすぎた。
私のために泣いたり笑ったりしてくれた、可愛くて品がよくて聡い自慢の高校時代の友達たち。急な話だったのにお祝いに駆けつけてくれて、式場の人に「こんなに場を盛り上げてくれるゲストは今まで見たことがない」って言われるほど盛り上げてくれた、大学時代の仲間。ほとんどの人はこれを読まないだろうけど、感謝してます。今年の目標に「会いに行って直接お礼を言う」が加わりました。

みんなが大量に撮ってくれた写真を眺めてると、私や旦那さんはもちろんだけど、両親や親族、参列者の方がみんなにこにこしていて、それを見るだけでまた幸せな気持ちになる。
両親は多分最後まで複雑な気持ちだったのだと思う。一人娘を嫁に出す覚悟は相当のものだっただろう。しかも何年も付き合ってた彼氏とかならともかく、突然付き合い始めて挨拶に来た人。「結婚を前提にお付き合いを始めました」って挨拶のあとに、お父さんと飲みに行ったら、「この2年以内とかで結婚するつもりはあるの?」って聞かれたなあ。多分お父さんの予定よりずっと早まってしまった。
それでも私が選んだ人を大切にしてくれて、私の選択を尊重してくれて。彼らはぶれなかった、どこまでも私の自慢の両親だ。最後の父のスピーチと母からの手紙は、きっと死ぬまで携えるわたしの宝物になった。

 

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大学時代の大切な友達が結婚式を挙げたとき、結婚式は「お守り」だって言ってた。その意味が、今ならよくわかると思う。これからもきっと辛いことや悲しいことはあるけど、私はこの日に立ち返ることができて、そうあり続けられる限り幸せを見失うことはないんじゃないかな。そしてお守りは結婚式という日そのものだけじゃなくて、そこでもらった大好きな人たちの笑顔や、言葉だってそうだ。いつまでも「強くて繊細で聡い」「キラーチューン*1の似合う」ひとでいられるように。

*1:この曲を私のテーマソングって言ってくれる子がいて、特別な曲になった。披露宴のBGMはほとんど私の独断で決めて、私のゲストからは私らしくてよかった、和装のときかっこよかった、ってポジティブなメッセージを貰って嬉しかった。大好きな曲に私の大切な時間を伴走してもらえた。

いつかのための冷凍保存

時が流れるのが早すぎて、とくに身体が追いつけていない気がする。街ですれ違う人の服装が変化している。もうふわふわの毛に包まれる人はあまりみない。カレンダーは3月になって、すぐに終わるひな祭りをもうすぐ迎える。もう2017年の3月だよ。

 

2017年の3月を、2007年の私はどう予想していたんだろう。あの頃は高校生で、私は理系に進学してどこかの研究員になっていると思っていた。23歳で結婚するとなんとなく信じていた。23歳になって、社会人1年目(理系だったらストレートでも院生)で結婚するなんてなんで思ってたんだろう?と昔の自分の思考回路を疑った。

 

私は今週末結婚式を挙げて、来週頭に入籍する。独身の水曜日は最後だ、なんてことを考えながら、カウントダウンを始めた。結婚式を終えた後の自分、入籍した後の自分がどう思っているか、まるで想像がつかない。あんがい何も変わってなくて、実感がないなんてこぼしているかもしれない。もしくはまるで別人のように生まれ変わってしまうのだろうか?

 

「今どんな気持ち?」とこの前、母に聞かれた。たぶん心の中をのぞいたら、心配や不安や寂しさや郷愁、いろんなものが綯い交ぜになっているはずなのだが、いまの私はそれを言葉にする術を持たない。無意識のうちに、自覚しないようにしているのかもしれない。不可逆へ進むことへの不安を。触れられれば風船のように割れそうなそのあやうさを。

 

もう3月だ。別れや新しい一歩にふさわしい、使い古された春。いつかこのときを懐かしむだろう私のために。